ナルト

ナルトの方がよっぽど辛かったと思うけれど

 

周りから認められないという気持ちが

 

自分で自分のことを認められなくて

存在しているだけで苦しくて

この世に必要とされていないって思っていた

うつ状態の時の気持ちと似ている気がして

 

ナルトや我愛羅の話は一つ一つのシーンに心がキューっと痛くなる

 

そして誰かから認められて自分のことも他の人のことも認めているナルトの言葉に

時に救われて

度々心動かされて

こんな風に強くなりたいと思う

 

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「笑われている」だけ 桂歌丸さんの言葉

桂歌丸が語る裸芸批判の真意「起用する側にも責任ある」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170625-00000013-pseven-ent&p=1

 

この記事、桂さんの言葉だからこそ重みがあるし

「言っちゃ失礼ですけど、裸でお盆を持って出て何が芸なんですかね。あれを日本の文化だと思われたら困るんですよ。あんなのは酔っ払いがお座敷でやるようなもんですよ。落語家も、漫才師も、あるいは歌舞伎、お能狂言の方も、皆さん日本語を駆使して芸を披露しています。言葉ってのは“その国の文化”なんです。

 私たちは落語を通してお客様に笑っていただくわけです。ただ、ああいう方は、言葉を生かさずに、裸で踊っているだけじゃないですか。『笑われている』だけなんですよ。なんでそのことに気が付かないんだろうと思いますよ」

という言葉に納得しました

 

おもしろいと思う人が多いのかもしれないけど「笑われている」人を見てもいい気持ちはしない。

 

言葉を使っていたとしても下品な言葉や人をばかにするような言葉ばかりだと

「笑われている」だけだと感じます

 

何かが満たされるような、元気になって明日も自分にできることを頑張ろうって思えるような

おもしろい「笑われている」だけではない芸って、

最近少なくなったなぁ とテレビを見ていて思います

 

 

桂さんが酸素吸入器をつけて息苦しい中話した言葉、

芸を提供する1人でも多くの人たちに届きますように、、、

麻央さん

小林麻央さんのブログ、毎日ではなかったけれど読んでいました

 

心の美しさが一つ一つの言葉から、目の中の綺麗な光から伝わってきました

 

本当に亡くなられたのかな……

 

最後に更新されたブログを読んだばかりだったから

明日また素敵な言葉のブログを更新してくださるんじゃないかって思えて

ニュースを見ても亡くなったという実感が湧きません

 

麻央さんの言葉を読んで何度も頑張るための力をもらいました

 

麻央さんが残してくれたものがどれだけ大きいか

 

病気になっても全ては終わりじゃない、

死んでも全ては終わりじゃない、って彼女の人生が示していると思います

 

誰かの心に生き続けている

 

 

本当に本当に辛かったと思います

今は安らかに眠れているのかな、

天国で目覚めたとき痛みから解放されていても子どもたちのことが心配で仕方ないだろうな

 

 

どうか残された麻央さんの家族が静かな心安らぐ時間を持てますように……

今日も精神科に行ってきた

最近3週間に1回の頻度で通ってます

 

1ヶ月に1回だった時もあったのですが

精神的に調子は良くなっていたものの薬の副作用で

生活に少し支障が出ていたので

昼と夜飲んでいた薬を夜だけにして、その後は様子見も含めて3週間に1回行っています

 

やっぱり昼と夜薬を飲んでいたときのほうが精神的に元気だったのですが、

昼に薬を飲んだ後に眠気とか集中力がなくなってしまう副作用が出て

いろんなことで普段はしないようなミスが多くなっていたので

夜だけにしました

 

ちなみに薬はクエチアピンを飲んでいます

 

薬を半分に減らしてから昼に普段はしないようなミスをすることは格段に減りましたが

(薬を減らしたことよりも昼に飲まなくなったから副作用を感じなくなったのかもしれないです。

だいたい昼に薬を飲んだ後の数時間の間に眠気や単純なミスがあった気がします)

気分が落ち着いているというか、うつ状態だった時ほどではないけれど

昼夜の2回飲んでいた時よりも物事を億劫に感じるようになった気がします

 

もともとめんどくさがりやなところもあるから、こっちの方が普通なのかなーと思いつつ

またうつ状態に戻ってしまうんじゃないかという不安もあります

 

でも薬は少し少ないくらいがいいみたいなことをお医者さんに言われました

もちろん薬にもよると思いますが

 

もう少しの間このまま様子を見て薬の量を調整する予定です

 

精神科に頻繁に通うのは意外とお財布に痛いので本当にちょうどいい量が早く見つかるといいなぁ

と思いつつ、

時がたつにつれて必要な量も変わってくるかもしれないし難しいとも感じています

 

ただ今は

長い目でのんびり治していこうと思える心の余裕があることが

嬉しいというか、状態が安定してきている証拠かな、と思います^^

たまゆら

最近たまゆらのアニメを見ています

 

癒される

 

 

こんな優しいアニメを見ているからか、

 

悩んでいる時や自分のことを精神的に追いつめてしまっていた時に

 

生きないといけない

 

じゃなくて

 

「生きていてもいいんだよ」

 

っていうような言葉を言われた時に気持ちが楽になったなって

ふと思い出しました

 

無理するな、じゃなくて

無理しなくてもいいんだよ

 

もっと頑張って、とか 頑張らないといけない、じゃなくて

頑張りたいなら頑張ってもいい、

たとえ頑張れないと思った時も、今の道で頑張れない時も、あなたが選んだことを応援してるよ

 

休みなさい、じゃなくて

休みたい時は休んでもいいんだよ 

 

って言われることで

張りつめ過ぎていた心の糸がゆるんでくれて

本当に精神的に救われたなって

思い出しました

 

たまゆらを見ていると

何かを押しつけることもなく、でも放っておくわけでもなく

お互いを応援していて

 

たまゆらに出てくるみんなはそんな風に

見守り合っているから

あんなにあたたかいのかなぁと思いました

 

 

人に迷惑かけたくない

人に迷惑かけたくないって思うのは普通のことなのかもしれないけれど

 

私は生きているだけで迷惑だ

だから死にたい

とまで思った時、特にそういう状態が長く続いているか

長くなくても本気で死にたい、死ぬしかないって思ってしまうときは

精神科とかに助けを求めていいのだと思います

 

私は人に迷惑かけたくないという思いが異常なほど強かったです

でも自分では異常だとは思っていなかったです

 

自分の存在さえ迷惑と思うのが普通だと思い込んでしまうくらい

小さい頃から役には立てなくても迷惑にはならないように

自分で自分に言い聞かせていたような気がします。

それもあってか、

自分は生きているだけで迷惑だから死にたいと思う日々が続き明らかにうつ状態だった時

精神科に行く気なんてなかったし、薬で治せるなんて思わなかったし、

死にたいことが自分の中で当たり前かのようになっていました。

本当に死ぬしか道がないんだと思い込んでいました

 

死を選ぶことが良い悪いとかそんなこと言ってられないくらい、ただ死ぬしかないんだと思いました

 

自殺する人の気持ちがすごくわかった気がしました

 

私はなぜか中学生か高校生の時に同級生が

人身事故で電車が遅れた時にその人身事故を起こして自殺または大怪我した人に対して

「迷惑」「他に死ぬ方法あるだろ」と言っていたのをすごく覚えていて、

それを聞いたときは人が死にたくなるくらいに追い詰められて死んだか大怪我を

追っているのになんで迷惑だなんて思えるんだろう、

確かに電車が遅れるのは不便だけれど人の命が失われているのに

迷惑という言葉を投げるような冷たい考え方を持っている人が多いような社会ってなんなんだろう

と思っていたのですが

皮肉にもその迷惑という言葉が自分が存在しているだけで迷惑だと思って死にたくなった時に

自分の頭の中で繰り返し再生され、

自分が死ぬことさえも誰かに迷惑をかけることになるという考えに至って

死ぬために物理的に自分を傷めつける行為を行わなかった原因になりました

もちろん電車の前に飛び込む以外に死に方はたくさんあるけれど

自殺するということ自体、残された家族がなぜ止められなかったのかと自分自身を責めたり

したら家族のこれからの人生に悪影響を与えてしまい迷惑なのではないか

という思いから、自殺未遂は行いませんでした

ただもし私に家族がいなかったら迷いなくできるだけ周りに影響しない方法で確実に自殺していたと思います

 

死ぬしかないと思い込んでしまう時って本当に怖いなって思います

 

自分が経験するまでは死ぬしかないと思い込んだ時の怖さを全く理解できていませんでした

 

人に迷惑をかけたくないという思い以外から死にたくなっていたとしても、

誰であれ死ぬしかない思い込んでしまった時の心の状態はもしかしたら似ているのかもしれない

と思います

自分勝手とか現実逃避とかじゃなくてただ本当に死ぬしかないって思い込んでしまうんだと思います

一概には言えないとは思いますが、何かに引きずられているみたいに自殺という道しか見えなくなってしまうという人が少なからずいると思います

 

死にたいって本気で思ってて、それをやっとの思いで相談した時に

死なないでとかもっと頑張れとか言われても全く響かなくて、

もう本当に不思議なくらい響かなくて

 

今、私は死にたい心の状態から抜け出しているからあのとき友達の言葉が響かなかった理由が

わかった気がするのと同時に、友達がかけてくれた言葉は本気で死にたいと思ったことがない人に

とっては本当に助けたいと思ってくれている時に自然に出てくる言葉なんだなとも感じました

 

じゃあどんな言葉が響くのって言われても正直わからないのですが

うつ状態を経験した人の言葉だったり

頑張ってるね、頑張ってるの知ってるからね、という言葉だったり

もっと話を聞かせてという言葉だったり

布団の中くらいは泣いても許されるって言葉に私は救われました

 

 

お風呂とストレッチ

今日テレビでストレッチをすると身体的な健康にも精神的な健康にもいい

みたいなことを言っていました

 

私は小学校高学年くらいから身体がすごく硬くて、

柔らかくなりたいとは思っていたけれど、

中・高の時は体育の時間のストレッチもあるしいっかー、と思ってしまったり、

大学に入ってからは時間がなかったり、

うつ状態の時はストレッチのやる気なんてでなかったりで

ストレッチが続くことはほとんどありませんでした

 

双極性障害の治療のための薬を飲んでから、いろいろなことの

やる気が前より続くようになって

お風呂にゆっくりつかる気も起きるようになって

(前は基本的にお風呂入っても10分であがっていたしシャワーだけで済ませることが多かったです。お風呂にゆっくりつかることさえもすごく億劫に感じていました)

一週間に一回くらいお風呂にゆっくりつかるようになりました

お風呂上がりのストレッチをしたり、

毎日ではなくても一週間に3、4日くらいストレッチができるようになりました

 

結果、冷え性だったのですが血流が良くなったのか手足の冷えがあまりなくなって

身体の調子がよくなった気がします

自律神経がどうのこうのっていうけどメンタル面でも

薬にプラスαでいい効果が出てきているような気がして、

ストレッチ全然しなかったりお風呂にゆっくりつからない週と

そうでない週では身体の調子が違う気がします

身体のだるさとかが長風呂やストレッチをすると軽くなる気がします

 

まだ開脚は全然できないけれど、

腰曲げるだけで痛かった前屈も手が床につくまでになりました

 

 

ストレッチと長風呂これからも無理のない範囲で続けていきたいです

 

お風呂はあがった時の外との温度差に注意です

今の時期はあまり心配ないと思いますが冬とかは特に温度差が大きくて

お風呂は要注意みたいです

 

私は体調が悪いときに長風呂すると貧血があるせいもあってか頭がものすごく

くらくらして立てなくなる時があるので、

長風呂はある程度身体の調子がいいときにしています

 

あと今飲んでいる薬の副作用が眠気で、

前に薬飲んだ後にお風呂に入ったら一瞬寝てしまって危うくおぼれるところだったので

副作用に眠気がある薬は飲む前にお風呂に入った方がいいと思います

 

もし長風呂やストレッチをすることが健康状態に問題がなければ、

一週間に一回だけとかでもお風呂にゆっくりつかったりストレッチしてみるのがお勧めです。

 

あくまでこのブログに書いているのは個人的なことなので、

ただの個人的なお勧めです。

ストレッチは怪我の可能性もあるしお風呂も私みたいにめまいがしたり

おぼれそうになったり危険があると思うので特に薬を飲んでいたり、

滅多に長風呂しないような人はお医者さん等に相談するべきなのだと思います